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服を捨てられない病

 服に対して消耗品という考え方かできないでいる。どれだけ色褪せても、皺くちゃになろうとも、破れでもしない限り着続けなくてはいけない、という強迫的な観念が染み付いているためだ。だから僕にとって、服を買うというのは一大事だ。ファッションセンターしまむらだろうと、どこぞのブランド品だろうと、今後数年間肌と重ねて付き合っていくのだから。
 僕は現在二十代後半に差し掛かっているが、未だに高校生の時に買った衣服を持っている。デザインが気に入っているとか、思い入れがあるとか、何か理由がある訳ではなく、特に捨てる必要もないから持ち続けている。

 こんな言い方をすると、さぞ服を沢山持っていると思われてしまいそうだが、そんな事は全然なく、むしろ着るものがなくて困っているから、古い服も捨てられない、という状態なのだ。下着不足は慢性化し、ジャケットもパンツも同じ物ばかり着ている。
 スティーブ・ジョブズに習ってウィルパワーを節約している人に見られたらどうしようかと悩んでいたが、見かねた友人がお下がりをくれるほどだから、そんな心配は端から杞憂だったようだ。
 服を買う事に臆しているからと言って、貰えるものまで遠慮はしない。貧弱な箪笥を見た友人の言葉を聞いた僕は、二つ返事で飛び付いた。僕は長男のため、洋服のお下がりを貰うなんてほとんど初めての経験だった。
 初めから使用感があれば、着るのにそれほど気を使う必要もないし、自分では買わないような面白い服があったりして、バリエーションが増えたのが良かった。今はまだ寒いから、これから春先にかけて徐々に着こなしていきたい。

 そもそも普通の人は、どれくらいの頻度で服を買い、捨てているのだろう。僕は数百円のTシャツや寝間着のトレーナーも、気が付いた時には4,5年着続けていたりするから、みんながそうだとは思わないけれど、人の事情が全く想像できない。
 こんな僕だが、洋服屋さんを覗くのは嫌いではない。店員さんがしつこいようなお店は苦手だけれど、値札を見て意外な金額に慄いたり、洒落込んだ店内を歩くのは楽しい。お店からすれば困った客かもしれないけれど、買う気がなくて冷やかしている訳ではないのだから、静かに服を鑑賞させて欲しい。

 そもそもどうして服屋の店員さんは、あんなにがつがつとしているのだろう。あの手の営業トークに捕まると、断りきれなくなってしまいそうで恐ろしく、僕は早々に店から出るしかなくなってしまう。一度、試着中にカーテン越しに突然声をかけられたこともあって、その時はさすがに勘弁してくれと思った。声色には出さなかったけれど。

 話している時間が長くなるほど、断るのに罪悪感が芽生えてくるのをどうにかしたい。無愛想に徹してしまえばいいのだろうが、往来の気の弱さからそうもいかず、後に引けなくなった挙句、トイレに行くふりをして店を出たこともしばしばだ。
 あちらからしたら僕みたいなのは格好の客なのかもしれないが、ドライにならなければ洋服すら見にいけないような世の中は、間違っていると思いたい。

 中学生の頃はよく、ファッションセンターしまむらに行っていた。隣町のショッピングセンターにあり、両親にもらったお札を握りしめて、いつも同じ友人と自転車で向かった。
 しまむらはやけに大きいサイズの服が多く、まだ身長も低かった僕は、何を着ても大抵だぶだぶになってしまい、思い返すとよくあんな格好で外を歩いていたなと、恥ずかしくなる。
 中学3年に上がる頃から徐々に友人が来てくれなくなり、それどころかしまむらに行っている僕を莫迦にするようになった。一緒に行っていたじゃないか、と心では思っていたが、すっかりおしゃれ組の仲間入りを果たしてしまった彼の前で、それはあまりに悪い気がして黙っていた。

 近ごろ色あせたTシャツを裁断し、雑巾として使うようになった。製造現場などで言われる、ウエスというやつだ。時おり糸くずが気になるけれど、気兼ねなく使い捨て出来るのが便利で、水場の掃除などによく使う。
 ただゴミになってしまうと思うと、捨てるのがためらわれる。ハサミでバラバラにするのは勇気がいるが、服だってちゃんと処分するものなのだと、認識を改めていきたい。

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