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すてきな比喩に出会いたい

 この小説家が好きだ、と思う時にはいくつか落とし所があって、独特な一人称の文体だったり、凝った比喩表現だったり、そんなものに惹かれることが多い。
 ハードボイルドな淡々とした文体でも好きな作品は沢山あるが、機械的な情景描写がひたすら並ぶような文章を読むと、誰が書いても同じなのでは? という考えがもたげ(実際はそんなことはないのだろうけれど)集中できなくなってしまう時がある。
 だから、誰か知らない作家さんの作品を読みたいな、と思ったときには、本屋さんで実際に手に取り、文章の読みやすさから判断することが多い。翻訳物や歴史物などは、よほど興味をそそられない限りほとんど買うことはない。

 ここ数年、女性作家の作品をよく読むようになった。状況説明的な描写ではなくて、心情を事細かに描いた、感性が光るような文章に出会えたことがきっかけだ。
 見聞を広めるためにも、いわゆる名作と言われるようなロシア、フランス文学なども読んでみたいとは思うのだけれど、どういう訳か翻訳物の文章となると途端に頭に入ってこなくなる。今度こそはと思い気を新たに買ってみても、結局積み本が増えるばかりなので、このチャレンジは気長に取っておくべきなのかもしれない。

 表現方法の一つに「比喩」という文章技術がある。ものを例えて述べるという至極単純なことにも関わらず、小説の魅力や作家の個性まで左右する、作品の中枢とも言えるような技術だと思っている。
 その比喩にも流行り廃りというか、これは使ったらまずいよ。みたいなリストがあるそうなのだ。ある小説家の方が仰っていたから、うっかり書いてしまおうものなら編集時点でダメ出しを食らってしまう、という事なのかもしれない。
 例えば「白魚のような」。
 シラウオというのがよく分からなかったので画像検索してみると、シラスみたいな美味しそうな写真が沢山出てきた。作品名は忘れてしまったけれど、昔読んだ古典的な作品で、このような比喩を何度か目にした気がする。とても曖昧な記憶だが。
 しかし不思議なことに、それが透き通るような肌の例えであることは知っているから、やはり何かしらの作品内で触れたことがあるのだろう。
 別段おかしな比喩だとは思わない。確かに白魚は透き通るように真っ白で、シラスみたいに釜茹でして、ご飯に乗せたら美味しそうなのだから。
 ではなぜダメなのかというと、その場では言及されていなかったから僕の予想でしかないのだけれど、単純に時代ごとのセンスの違いなのではないか。僕も肌には多少気を遣っているから、時折「意外と肌きれいなんだね」などと褒められると、ちょっとうれしくなってしまったりもするのだが「君の肌はまるで白魚のようだね」と言われて素直に喜べるかは疑問だ。
 意味としてはもちろん伝わるのだけれど、なんだか古くさい響きだし、もしかしたらギャグなのかな? という思いに捕らわれ、曖昧に頷いてお茶を濁してしまうかもしれない。
 つまりそういうことなのだ。多くの人には白魚のような透明感のある白さ、というのは伝わるだろうけれど、イカのようなとか言われてもあまり嬉しくないのと同じく、恐らくは耽美で官能的な場面で使われてきたこの表現も、現代では雰囲気を台無しにしかねないのだ。
 それにしても、僕は白魚という単語を比喩表現でしか聞いたことがない。そんなだから、名前の通りさぞ白いんだろうな、という認識だけで今まで過ごしてきたが、昔はシラスに変わるような丼物の定番だったとでも言うのだろうか。かつて文芸界にここまで広まったルーツを、探ってみたいような気がする。

 「壊れたレコードのように」という比喩は、いつ頃から使われるようになったのかは分からないが、現代でもそこそこ見かける。レコード盤を買ったことはあるが、プレーヤーはもっておらず、自分の手で再生したことはない。しかし「……繰り返した」と続くことが多いため、レコードは壊れると同じ箇所を何度も再生してしまうんだろうな、という真逆の流れで、最初は理解していたのだと思う。
 今時、壊れたレコードが同じフレーズを繰り返しているような場面に遭遇することなど、そうあるとは思えない。イギリスでは、CDの売り上げがデジタル配信に押される一方、今になってレコードが伸びてきているらしく、そのようなレトロ新しさが流行る事例もあるのだろうが、それでも大半の人は映画などのフィクションから、壊れたレコードの知識を得るのではないかと、僕は思っている。
 しかしこの比喩は、あまりにありふれて単なる記号のように聞こえてしまうのは僕だけだろうか。ある大作家の先生が、作家志望者向けの講座で生徒の作品を読んで、ありふれた表現にだめ出しをし、オリジナリティの大切さを説いていた。しかし、その先生のある作品では「壊れたレコードのように……」という比喩が二度も出てきたことがあって、好きな作家だがそのときばかりは首を傾げたくなってしまった。

 読書中に比喩に感動すると、思わずマーカーでラインを引きたくなる。もちろんそんなことはできないから、物語もそっちのけでそれこそ「壊れたレコードのように」心中で繰り返す。
 同じ小説を繰り返し読み、物語の記述という以上に文章を味わう楽しさを知ったのは、ある先生の短編集がきっかけだった。少々過剰的とも思える修飾・比喩表現にかつてないほどの衝撃を受け、自分の物にするべく何度も何度も読み返し、やがて同人活動を……、というのはまた別の時に書くとして、そんな比喩との出会いをこれからも大切にしていきたいものである。

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