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めがね

 小学生の頃は視力が自慢だった。年に一度の検査では、検査票の1番下から2番目くらいまではすらすらと答えることができたし、結果はいつも2.0だった。勉強も運動も並程度だった自分にしては珍しく、周りよりほんの少し優位に立てる気がして、体重測定の次くらいに嫌いではない検査だった。
 当時、クラスのメガネ率は今よりかなり少なかったように思う。メガネをしているだけで、勉強ができるとか真面目そうだとか、でもスポーツは苦手だとか、根拠のない印象を抱かれる人が多かった。僕もメガネだけを理由に勉強を聞きに行ったら、嫌な顔をされたことがあるから、ファッションに関わらずこういうことは迷惑なのだと学んだ。

 眼鏡にもたくさんの種類があるが、まるで芸人のような淵の太い大きな眼鏡を見ると、変わったデザインがあるものだと不思議に思ってしまう。それも街中で、流行りのおしゃれで固めているような人が付けているのを見るとなおさらだ。まるで大正期のロイド眼鏡のようだし、変わった組み合わせに思えてしまうからだ。
 しかし大きな眼鏡には、相対的に顔を小さく見せる効果があると聞いた。なんでも、眼鏡の大きさは普通はこのくらいだ、と言う無意識的な認知があるから、そのような錯覚が起きるそうなのだ。
 しかしそれはつまり、大型眼鏡が主流になれば錯覚効果がなくなってしまう、ということではないか? みんなが気づいて眼鏡屋さんに雪崩が起きる前に、こっそり駆け込んでおく必要がある。

 僕が眼鏡をかけ始めるようになったのは、21歳の頃だ。高校生の時からパソコンにかじりつく様になったせいで、かつては自慢だった視力は見る影もなくなってしまった。当時、僕以上にパソコン(ネットゲーム)をやりまくっていた友人はなぜか視力が落ちず、不平等を感じたりもしたが、現在CGアニメーターの友人にも同様の者がいて、一定数そのような人々はいるらしい。体質なのかは分からないけれど、僕が物心つく前から父親も随分と分厚い眼鏡をしていたから、遺伝的な影響もあるのかもしれない。
 眼鏡が必要になったからと言って、パソコン•スマートフォンから遠ざかる訳もなく、当然のごとく視力はそれからも落ち続けている。当初は外出時だけ付けるようにしていたが、次第に部屋の中、食事の席、パソコンの前においても手放せなくなくなり、今ではお風呂と寝るとき以外は常にかけている。

 眼鏡さんが不意に取り外すと、まるで別人のように見えて戸惑うことがある。似合うとか似合わないとか、そういうのでは説明がつかないもっと強烈な変化を感じてしまうのだ。しかしだからと言って、あぁこれがこの人の本当の相貌だったのか。と思う訳ではなく、いくら面と向かってお話をしても違和感は拭えず、結局眼鏡さんが再び眼鏡をかけるのを待って、ようやく安堵するのだ。
 第一印象に眼鏡がなければこんな事にはならないと思うが、それなら自分は一体、不意に眼鏡を外したらどう思われてしまうのだろう。第一印象を眼鏡から入った人は、やはり違和感を抱くのだろうか。
 僕ほど動揺はしないとしても、いつもと違う印象を持たれてしまうとしたら、それがどんなものか気になってしまう。恐らくそれは、眼鏡をしていた方がいいとか外した方が自然だとか、そういう単純なものではないと思うから、尋ねたところで困らせてしまうだけかもしれないけれど。

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