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大丈夫ですか? と訊かれるのは

 見知らぬ人に話しかけられることは、ぼくにとってそれほど珍しいことではない。どちらかと言うと陰気に思われることが多い自分だが、近づきがたいほどオーラを放っている、という訳でもないらしい。フレンドリーな方には、同じ分だけ親しみを返したいとは思っているが、そんなぼくでも時折首を傾げたくなる時がある。
 それは全くの他人に突然「大丈夫ですか?」と訊かれた時だ。

 覚えている限りこんなことが2回ほどあって、1度目は原動機付自転車の免許試験を受けに行った時で(なんと10年近く前)、隣の席の恐らく同い年くらいの男性に書類の記入方法を訊かれ、答えた直後にぼくが質問を返したら「大丈夫ですか?」。2度目はつい先週のことで、仕事帰りに繁華街を歩いていたら、キャッチに声をかけられ「結構です」とあしらったら、急に神妙な顔つきで「大丈夫ですか?」。
 もしかしたら本当に心配してくれているのかもしれないから、別に腹が立ったりはしないのだけれど「いったいぼくの何が、そんなにダメそうだったのだろう」と、しばし思い悩んでしまった。
 ぼくはいずれの場合も「ええ、まあ……」みたいな曖昧な返事を返したが「もう辛くて辛くて何もかもダメなんです」とでも言っていれば、お金でも貰えたのだろうか。それはそれで怖い気もするけれど、たいして親しくもない人間に声をかけるからには、あらゆる回答を想定するべきだと思うし、ぼくにはそんな臨機応変に対応できる自信がないから、他人に「大丈夫ですか?」なんて訊くことはこの先もないだろう。

 それにしても、心の具合は本人の知らぬ間に顔に出ているもので、同じような振る舞いが、ある時は怒っているように見えたり、ある時は悲しんでいるように見えたり、そういうのはやはり、表情のわずかな違いを無意識に感じているからだと思う。
 「考えていることが顔に出やすい」と言われたことがあるが、そういうのはなかなか自分では気づけないもので、良いのか悪いのかも分からず少々悩んでみたりもしたが、無表情すぎて不気味に思われるよりはよっぽど良いだろうと、今は気にしないでいる。

 無表情を表すに「能面のようだ」と例えることがある。ぼくはあの森閑とした佇まいが好きで、時折意味もなく画像検索したりして楽しんでいるのだが、演者の立ち居振る舞いによって様々な感情を見せる道具なだけあって、人間のそれとは全く違う。人の顔写真を面にした所で同じようにはならないのだから、全く不思議なものである。
 今では疎遠になってしまったが、かつての知り合いに、雰囲気的な比喩ではなく本当に能面(小面)のような顔をした女性がいた。自撮りが好きな方で、SNSに頻繁に顔写真や動画を上げていたが、ぼくはそれを見るたびに「お面が生きていたら、きっとこんな風に動くのだろうな」と、ひとり感心していた。
 色白の小奇麗な方だったが、ある時を境に唐突にSNS上から姿を消してしまい、今はどこで何をしているのかさえ分からない。もしもすれ違うようなことがあれば、例えそこが渋谷のスクランブル交差点のど真ん中であろうと、気がつく自信はあるのだが。

 親しい人に「大丈夫?」と尋ねられると、反射的に「大丈夫、大丈夫」と言ってしまう。調子が悪そうなのを察した上で声をかけてくれたのだから、そんな時くらい自分のダメそうな所を話してもいいのかもしれない。
 しかしぼくのダメな所は、自分が甘えるばかりで人の「もうダメ」を受け止められない所なのだ。一方通行の関係ではいつまで経っても対等にはなれないし、そんな所に信頼なんて生まれるはずがない。
 「大丈夫ですか?」なんて訊かないまでも、人の悩みを真剣に聞けるくらいの心の余裕は、常に持っていたいものだ。

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