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髪を伸ばして振ってみたい

 へヴィーメタルを聞くようになって十数年が経過するが、ぼくにもやはり長髪に憧れていた時期があった。剛毛質の両親からしっかりと受け継いだぼくの髪は、さらさらと言うには程遠く常にもじゃもじゃという感じで、自分なりに色々なシャンプーや整髪料を試してみたり、美容室で縮毛矯正にお金をかけてみたりもしたが、結局今ではシャンプーすらも使わないという、いわゆる湯シャン派ナチュラル志向という形に落ち着いた。

 そもそも海外ミュージシャンとぼくとでは髪質(特に太さ)が全然違うのである。長髪を振り乱しながらギターをかき鳴らす姿には憧れるが、ぼくが真似をしたところでモズクが暴れているようにしか人の眼には映らない。楽器を諦めたぼくはせめて見た目だけでもと長いこと足掻いていたが、間違った方向に頑張っても時間とお金を浪費するだけなのだ。


 春頃になると、テレビや新聞などで脱毛サロンの広告を頻繁に見かけるようになる。大抵は女性向けで、チラシには白肌のまぶしいモデルが大写しになっているから、そちらの方に目を奪われてしまうのが常なのだが、そもそも人間は哺乳類の中でも非常に体毛が薄い。

 以前生き物系ニュースサイトでハダカデバネズミ(ひどい名前だ)というネズミが紹介されているのを見かけたが、名前の通り体毛がなく不気味な姿をしていて......というのは単なるぼくの感想で、哺乳類において体毛がないというのは、名称の一部になるほど際立った特徴なのだ。
 自身の体毛に神経質になる一方、そこら辺の猫や犬が厚い毛皮で覆われていることに普段疑問を持ったりはしない。顔や指先まで毛に覆われるとは一体どんな感覚なのだろう。彼らから見たら人間は、やけにつるつるで不気味に目に映るのだろうか。いっそ人間も身体中を覆い尽くすくらいの毛量があれば、体毛に気を使ったり脱毛サロンに行くこともなくなるのかもしれないのに。
 
 やはり中途半端に生えていることが、気になってしまう最大の原因なのだと思う。頭髪が薄いことを示すに「禿げ散らかす」という表現がある。最初に言いだした人間の文学的素養さえ感じる、実に秀逸な言い回しだと思う。「禿げ整える」でも「禿げ汚す」でもない、雨が降ったら流れ落ちてしまいそうな儚さと、それを笑いに転換するこれ以上の表現はないのではないか。
 眩しいほどの禿頭であれば、最初からこのような言われ方はしなかったであろう。ここまで人を引きつける原因は、やはり中途半端に頭髪があり、禿頭の手前で首の皮一枚争っている感が見て取れるからだろう。
 ぼくも近頃、洗髪時に抜け毛が気になることが多い。近い将来、万がいち彼らの仲間入りとなってしまったら、その時は潔く剃り上げてしまうつもりなので、どうか変わらず受け入れてほしい。
 
 昔読んだ格闘漫画に、人間が猫と戦うには日本刀を持って初めて対等である、といった感じの一文があった。その時は「いやいや体の大きさがそもそも違うのだから、踏んじゃえば一発でしょ」と思っていたが、対等な条件で戦うのであれば当然人間も服を着る訳にはいかない。
 爪や牙で攻撃されればたちまち出血し、それだけで戦意を喪失してしまうかもしれないし、裸足で外を歩く機会なんて滅多にないが故、枝や小石を踏みつけただけで動けなくなってしまうかもしれない。反射神経や俊敏性はどうあがいても勝ち目はなく、考えれば考えるほど、日本刀を持って初めて対等――という言葉にも納得してしまいたくなる。
 服がなければ体毛に頼らずには生きていけないよ。という話であり、別にぼくは猫と戦いたいと思ったことはない。町中で猫を見かければ、時や場所も考えずに思わず駆け寄ってしまうし、猫に関するニュース記事が目に入れば読まずにはいられない。
 いくら愛情を注いでも、風が吹けば気まぐれにそっぽを向いてしまう一方通行の関係に、ぼくは幼少時からすっかり虜なのだ。
 
 それにしても抜け毛が部屋のあちこちに散乱するミステリーを、いい加減誰か解決してくれないものか。誰でも一度は(例えば本棚や箪笥の上を見て)「どうしてこんな所に縮れ毛が?」と戦慄を覚えた経験があるだろう。人に見られたいものでもないし、無害だと侮っていた抜け毛が思った以上にわずらわしい存在だと、毎度のようにうんざりしてしまう。
 掃除はマメに行っている方だとは思うが、不意に抜け毛と相対する機会は無くならない。部屋もフローリングになったことだし、いい加減ルンバでも買ってみようかと通販サイトで検索してみたが、思いのほか高額でそっとブラウザを閉じて以来、ぼくは静かに探偵の訪れを待っている。
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