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高架下に佇む

 引っ越した影響で毎朝高架下を歩くようになった。時間にして約5分。徒歩5分の距離なんて大したことはないと思うかもしれないが、完全な一直線の道のため、奥の方はかなり霞んで見える。
 道の両側にそびえる支柱は等間隔に最奥まで続き、夜は備え付けられた照明が真っ白な光を放つため、コンクリートで灰色に染められた冷たい印象がさらに際立ち、なかなか幻想的だ。
 
 早朝から様々な人が高架下を通る。タイトなスーツを着こなす外国人サラリーマン。スラリとした下肢が眩しいミニスカートの女性。部活動の朝練に向かうらしい高校生。
 高架下の支柱の両脇は駐車場になっている。しかも所々で工事中だから、資材を積んだトラックなどがよく通るので、うかうかと道の中央を歩いてもいられない。通勤者などで常に一定の人通りがあるため、運転者も思うように動けず苛つくのか、歩行者を優先するような意識は薄い。
 それでも夜中にライトアップされた姿は、映画でも撮影できそうな、退廃的な趣向を凝らしたステージのようで、歩いているだけで想像を掻き立てられる。
 
 高架下にもいろいろある。ぼくが特に好きだったのは神奈川県小田原市の海沿いの高架下だ。神奈川に住んでいた時分、時折小田原までお出かけして、海鮮丼を食べて城とか桜とか公園とか歩いて回った後、陽が落ちてくる頃には必ず海岸の高架下へ行った。
静かで人もいない、ただ風が吹き抜け、月の影が波上で揺らめいているだけである。夜の海は怖いけれど、高架下の段差に座りながら海を眺めていると、時間が停止したかのような心地よい錯覚にとらわれる。
 
 高架下とか海岸とか、そんな景色に魅了される理由は、やはり開放感だと思う。どこまでもまっすぐに続く支柱に囲まれた道、ゆるやかなカーブを描く波打ち際。住宅街に住んでいると、こうしたシンプルで奥行のある景色なんて、早々目につくものではない。
 
 コンクリートの堅牢な柱は、高架を支えるという最低限の機能しか持ってはいないが、その間の直線的な果ての見えない空間を眺めていると、まるで知らない世界への入り口のように目に映る。じっと座っていると、やがて立ち上がって先へ先へと進んでみたくなる。夜が更けるのも明日のことも考えずに、ただ柱の間から差し込む月明かりと波の音だけを頼りに、ずっと歩いてみたくなる。
 かと言って空腹で倒れたり、戻れなくて迷子になっても困るわけで、実際にやってみたことは1度もないのだけれど、いつか時間も将来も気にしなくていいような身分になれたら実行してみるつもりだから、それまでに付き合ってくれるような酔狂な人を探しておきたい。
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